クリスチャンになってみた

 

葛藤である。

 

洗礼を受けたはいいが

やっちまった感は大きい。

 

クリスチャンになる前は

自分の罪だのなんだの

特に気にすることもなかったのだが

途端に

なんだか罪深い気分になってしまった。

 

こんなに良い子なのに…である。

 

ほうぼうの

人の良さそうな

方々から

「おめでとうございます」

とか

染之助染太郎みたいに

お声がけいただく。

 

私も目一杯声を張って

「ありがとうございまぁす!」

と芸人のように答えるが

一方で冷めた目の自分もいる。

 

ヨーメが

結婚以来

はじめて喜んでいるように見える。

 

それをみてまた思う。

 

一匹の黒い羊が

白い羊の群れに

迷い込んだような

感覚だ。

 

目立っちゃって仕方がない。

 

私は

ユダであり

キチジローである。

 

ユダは私でも知っている聖書の登場人物で

キチジローは

遠藤周作「沈黙」の劇中人物である。

 

矛盾だらけの存在である私が

なぜここにいるのか。

 

神を恐れて

しかし

その沈黙に

忍耐できず

裏切る。

 

今まで通りなんとなく

うまくやり過ごしていても良かったと思う反面

いや、それでは限界を感じていただろうと

打ち消す。

 

私の

証(あかし)を

YouTubeにアップするのは

アクセス数稼ぎ目的である

というのは

ほんのちょい本気だが、

こんなもんでアクセスは伸びないだろうから

ほとんど冗談である。

 

ニューヨークの教会で出会った

友人達に

私が陥落した記録をお見せするのである。

 

クリスチャンにとっては

あらたな罪人の燃料投下として

ノンクリスチャンにとっては

洗礼式の一つの形として

話題を提供する。

 

《洗礼式》前橋キリスト教会で洗礼を受けた《産婦人科医》

https://youtu.be/vF4dQsA8bvc

 

 

 

 

 

年甲斐もなくというか歳をとったので感動してもうた

 

いままでで一番疲労する分娩だった。

 

当院スタッフが分娩となった。

 

ママ本人にお願いして

妊婦健診、

外来のエコーから

分娩まで

基本的には全て

助産師に対応させてもらった。

 

助産師外来のプライマリーというやつだ。

 

もちろん、

ポイントとなる場面では

元の市民病院の部長のドクターに

チェックしていただいた。

 

私は2回ほどお腹の上から

エコーをさせてもらって助産師に

胎児の推定体重や心エコーのチェックポイントを

見てもらっただけである。

 

 

今回、私は

分娩の準備

進行上の

管理や計画など

一切手を出さなかった。

 

震えるくらいの

怖い思いをしてもらって

助産師の卒業試験にかえよう思ったのだが

結局一番震えたのは私であった。

 

 

どのタイミングで

どんな介入をするとか

いままでは

私が指示をしていたが

今回は違う。

 

山本五十六の言葉がある。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、

結局、全部俺がやる」

 

あれ…

ちょっと違った。

 

でもね。

助産師が

分娩進行を管理していて

少し判断に迷うことがあると

私に報告があって

それ以降は医者の管理にうつってしまう。

 

こんなのって助産師になった甲斐がないでしょ。

 

産まれるのか

カイザーすべきなのか

薬を使うべきなのか

最終的な判断力が

つかないまま

助産師業務というより

下請け業務になってしまっていた

この状況を

変えるために

何年かにわたって

鍛えてきた成果を

いまここに!というわけである。

 

 

もちろん

判断力も伴わないのに

無闇に

管理を任せるわけにはいかないけれど

うちの人たちの

実力は

少なくとも

いい加減では無い。

 

というようなわけで

所見の報告だけ受けて

私はずーっと

YouTube用の撮影隊をしていたのである。

 

 

ところがであるが

トラブルは出てくるのである。

胎児の心音と

報告を受けた内診所見を

聞いて

私も介入したい気持ちを

抑えるのが大変であった。

 

安易に手伝えば

元の木阿弥だし

だからといって

決定的に遅れたら

我々のライセンスは

吹っ飛ぶし

しかし

そんな免状などというくだらないものよりも

なにより

胎児の命と母体が危なくなる。

 

要するに

切るべきか切らぬべきか

それが問題だった。

 

相談してきた助産師も

迷いつつ

自分で判断を下している。

 

自分で診察したい気持ちを飲み込んで一度

LDRの外に出た。

 

 

LDR

ドア一枚隔てて

助産師と進行中のママの会話が聞こえた。

 

 

悲鳴みたいな

声が上がって

「やべぇ」

と思ったら

全開してたみたいだ。

 

 

全員野球みたいな

感じで

スタッフがみんな集まってきちゃって

事務の高橋も

動画撮り始めちゃうし

オリンピックよりも

盛り上がってるな、これは。

 

最後の最後まで

動悸が止まらなかったが

助産師の指示で

介入することになり

その判断に胸を撫で下ろした。

 

動画

見てください。

 

 

https://youtu.be/sbVn3oH5aYg

 

 

赤ちゃんとママと

助産師たちが

とても

がんばりました。

 

そして私も少し頑張りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真撮影

最近、赤ちゃんと写真を撮ってもらうことが多い。

とても

ありがたいことである。

 

基本的にはママの側から写真を求められなければ

撮らないのだけれど

(あたりまえだ、赤ちゃんは写真を撮ろうなんて言わない)

何度か私の方から

写真撮りましょうよとお願いしたことはある。

 

とても厚かましいので

流石に

そう頻繁にはお願いできない。

自重している。

 

いえなかったけれど、

写真撮りたかったなという

赤ちゃんもいる。

 

元気に幸せになって欲しいな。

きっとそうなるだろうけど。

 

昔、

自分の母子手帳を見て

自分の出生体重に驚いたことがある。

 

写真の裏に

母親の

コメントが書いてあって

不思議な感じがした。

 

将来、私との写真がそういう謎に包まれたものに

なったらと思うと

クスクス笑ってしまう。

 

大きくなったかつて赤ちゃんだった大人に

「誰や、このオッサンは?」と

困惑してもらいたい。

 

 

今日は

外国の方と写真を撮ってもらった。

 

彫りの深い赤ちゃんであった。

 

私も謎の外国人に間違われたことがあるので

というか

結構間違われるから

国籍不明の医者との写真である。

 

アメリカのタッカホー駅でスペイン語で話しかけられたし

一度は知らないおばさんからハグされそうになった。

 

JALに乗る時に

別室に連れて行かれそうになったし

しかも誤解を解いたとおもったらその後ろの次の係官にも

連れて行かれそうになった。

 

帝国ホテルで

ハウスキーパーから英語で話しかけられて

 

秋葉原では

お巡りさんに在留許可証の提示を求められたこともある。

 

ラグビーのワールドカップのため

横浜駅

スタジアムの場所を尋ねた時には

ボランティアの方から

「すてえぃでぃあむ?」と

英語の案内をいただいた。

日本人の子供を連れていたのにである。

 

というわけで

外国で生活するというのは大変であるから

(私の場合自国でも苦労するので)

日本で赤ちゃんを産む方にも

できる限り快適に過ごしていただきたい。

 

https://www.instagram.com/p/CRI6RCjlXCM/?utm_medium=copy_link

 

 

おめでとうございます。

 

 

 

 

 

物理教会

数ヶ月ぶりに

オンラインではなく教会へ行った。

 

子どもが

行きたくないと愚図ったので理由を問うてみた。

 

「面倒」

「せっかくの休みが」

「恥ずかしい」

というようなものであった。

 

子どもは素直であるので

結局

行ってみたら

わりと大人しくしていたのだが

父である私も

「面倒」

「せっかくの休みが」

「恥ずかしい」

などと

全く同じ感情を持ったままであった。

 

教会は

なんのためにあるのか。

 

なぜ行かなければならないのか。

 

洗礼準備で

勉強したはずなのに

「行きたくない」という

感情を無かったことにはできない。

 

 

子どもには

「たぶん

教会はいいものなのだろうから

できれば行ったほうがいいんだろうけれど

あとは

ママに尋ねて」

と伝えた。

 

ママも別に強制はしなかった。

 

スイミングへ行くとか

幼稚園だって最初は嫌がっていたけれど

習慣として

臨めば

それは

自分が変わることになる。

 

教会もそういう面があるのだろうと思った。

 

うちの子は

休みの日にどこか外出に誘っても

一歩たりとも

敷居を跨ぎたくないという

タイプである。

 

それはすなわち

幼少の砌の

私自身の姿である。

 

親からちょっとした外出に誘われても

全く面倒くさくて

付き合いたくなかった。

 

それがどうだろうか

いまでは

子どもを外に連れ出そうと

あの手この手を使っている。

 

子供のためというより

親の、父のエゴである。願いである。

せっかくの休みが潰れてしまうと思う子どもに対して

父親の私はせっかくの休みに少しでも子どもと

思い出を作りたい、それが

些細なことであってもという気分である。

 

 

というようなことから

もしかしたら

父なる神が

子なる我々と

教会で思い出でも作りたがっているのだろうか

そう思いついた。

 

 

こんな比喩を使っても仕方がないのだから

いいから

行ってきたまえ教会に。

 

 

 

 

ジョブじゃない

「当たり前ながら、診療を受ける患者にとっては研修医も医者です。」

このエントリを書いたのは上記で始まる萩野先生のNoteを読んだからである。

 

クリニックである当院に置き換えれば

(当たり前ながら、診療を受ける患者にとって新人看護師も看護師です。)となるだろう。

 

 

 

「自分の代わりはいくらでもいる状態は、一番クビにされやすい状態と等価ですから。」

 

当院では年配の医師数名の首を切った。

ご存知のように我々の業界は

上下関係が割と厳しい。

であるから、というか、それでもというか

「自分しかいない」と勘違いしていた「まさか自分が首になるなんて考えてもいなかった」医師に最後、面と向かってはっきりと

「もう来週から結構です」と言うのは

いかに空気を読まない私であっても

かなりのストレスであった。

 

 

その点自分以外代わりはいくらでもいると

思っている方が可愛げがあるというものだが、

仕事を嫌えば

仕事からも嫌われてしまうから

自戒している。

 

 

痛いおじさんたちは

皆、一様に

かつてトレーニングすべき時にサボり

医者が足りないなどという言説を鵜呑みにして

この世の春を謳歌していた者たちである。

 

 

萩野先生のような(そしてTwitterで知り合った何名かのドクターたちのような)

いい医者が足りないだけ。

 

医師派遣業者のリストには

いつまでも

同じ経歴の医師が残り続けている。

派遣されてきた医師で当初聞いていた話と違えば、

業者にクレームを入れて

場合によっては引き取ってもらう。

 

ボランティアを医師相手にやっているのではなくて

volunteerはあくまで患者様のためである。

 

 

リスクが怖くて

治療をしないという

医者がいたけれど、

自己評価は高くとも

今でも

萎み続けている。

素人の職員を口車に乗せて

自分の居場所を作っているが

頑張ってもらいたいものである。

 

偽物は

リスクを取らないリスクが一番高いことに

気がつかないまま、

いつまでもちょっとキラキラした石のままで終わるだろう。

 

まぁ、

適切なリスクをとる重要性に気がついたからといって

どうにかなるものでもないのだけど。(再:だからリスクを取らない人もいるわけだし)

 

私は自分がどんな石なのか(医師なのか)知らない

ダイヤモンドであれば、あるいはサファイアであればいいなと

思っているが多分違うんだな、これが。

その辺の石ころなんだよ。

 

残念ながら

萩野先生や他のドクターのようにはなれなかった。

それでもなにか

磨いているうちに

光の反射が多くなってくれたらいいなと思う。

黒光して。

 

多少キラキラしていた

偽物の輝きの上から

荒いヤスリをかけて

平にして

いつか中から貴重な塊が出てこないかなと

探している。

 

どうしてそういうことをしているかというと

なにも格好をつけているわけではなくて、

自分を本物だと思い込んでいた滑稽な偽物の石を

直近に見てしまったからなんだ。

 

萩野先生が「今思い返しても指先が震えるほどの怒りと涙の記憶が蘇る」

ように

私もここ数年、再び同じような体験を繰り返している。

 

そういうわけで

ジョブではなくてCallingを

そしてVocationを。

私も

当院のスタッフも

患者様のために赤ちゃんのために

一生懸命やろうぜっていってる。

 

自分の子供だったら

バイタルが動くまで待たないでしょう。

その前の段階で

気がかりで仕方がないでしょう。

 

「自分がいなければ患者が死ぬ・病院が潰れる」

のぼせ上るのではなくて、そういうつもりで診療にあたりたい。

 

余計なお世話であることは

十分承知しているけれど

若い先生たちは

すでに十分すぎるほど

頑張っている前提であるけれど

決してかつて私の見た医者たちのようには

ならないで欲しいなと思う。

 

体と心を守りながら

でも

仕事を斜めに見るのではなく

誰かのために

一生懸命働くことは可能なはず。

 

みんな若いし頭がいいのだから

ただ疲れている時に

いろいろ考えてしまうのはやめて

辛いラーメンでも食べて

ビール飲んで

また明日から頑張ろう。

 

 

ぎっくり腰

 

月曜日

ちょっとパトリックからクロックスへ履き替えようとしたところ腰に弱い電流が走った。

 

感電するほどでもない

微弱な電気信号であったので

気にも留めなかったが

次の瞬間より

歩行が鳩みたいになってもうた。

 

柔らかい椅子に座れば痛い

硬い椅子だと

人形みたいに動けない。

 

世にいう

ぎっくり腰

である。

 

歩けるけど

座れない。

座れるけど立ち上がれない。

 

オペはできるが

自分のオペも

必要そうである。

 

鋼鉄の腰の持ち主であったが

いまやガラスの腰椎4番、5番。

 

それも

バカラやスワロフスキーでは無く

砕けかけた

「伊勢崎硝子」である。

 

本日

ついに

麻酔科ドクターから

硬膜外麻酔の

施術を受けた。

 

いま

なんとかごろごろしている。

 

なんだ

痛みがあっても無くても

ゴロゴロしてるのは一緒だ。

 

しかし

患者様の気持ちはよくわかった。

 

(分娩の気持ちでは無くで無痛分娩の気持ち)

 

手技を受けるときの

注射の痛みを知ることができたので

明日からの臨床に

直結することができるだろう。

 

臨床ができるくらいに

改善していればの話だけど。

 

6月2日は無痛《62ムツー》分娩の日

でも今日は6月3日

 

https://youtu.be/_k0q9A4hmmU

 

《実際の映像》産婦人科医が自分で無痛分娩やってみた《ただし男》

 

 

ポンコツクリスチャン見習い

ひと月に一度の

洗礼準備クラス。

 

もうすぐ一年生みたいに感じる。

 

今回は教会について

お話を聞いた。

 

信じると決めたら

全て解決するかのように

考えていた。

 

でも相変わらず

イライラするし

ぐったりするし

変わったのは

何も変わらないということがわからなかった

過去と決別し

何もわからないことがわかったことくらい。

 

 

去年から始めた合気道みたい。

みてたら簡単そうな

妙な技を教わるのだけど

いっこうにわからない。

 

わからないけど

稽古してみる。

 

それでも

できるようにならない。

将来できるようになるのかさえもわからない。

 

でも

気になるから

稽古を続ける。

 

幸い

できないのなら

わからないのなら

もう稽古に来なくてよいとはいわれない。

 

できないから練習する。

 

信仰もわからない。

見てたら簡単そうなんだけど。

 

https://youtu.be/gCx-y4papZU